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1-4 退職

last update Last Updated: 2025-02-26 07:38:37

――その日の夜

朱莉が質素な食事をしているとスマホに着信を知らせる音楽が鳴った。

手に取り、早速開いて文面を読む。

「あ……」

それは鳴海翔からのメッセージでは無く九条琢磨からだった。

『今日はお疲れさまでした。婚姻届けが本日受理されましたのでただいまより須藤様の苗字が鳴海にかわりますので、どうぞよろしくお願いいたします。新しい印鑑は後程郵送させていただきます。引っ越し業者もこちらで手配いたしました。3日後に業者がそちらへ伺いますので荷造りの準備を始めておいて下さい。後、結婚指輪をお作りしますので指輪のサイズを教えていただけますか? よろしくお願いいたします』

「ふう……」

朱莉は溜息をついた。この人物は余程有能なのだろう。今日だけでこれ程の仕事をこなすのだから。恐らく一流大の高学歴に間違いは無い。

「やっぱりこういう人が会社では必要とされるんだろうな……あれ? そう言えば……指輪のサイズって……? 困ったな……。指輪なんて一度もはめた事が無いからサイズが分からないし……そうだ、調べてみよう」

スマホをタップして、指輪のサイズの測り方を検索してみた。

「へえ~。細い紙とセロハンテープがいるのね」

早速セロハンテープと付箋を用意し、測ってみたところ朱莉の指輪サイズは7号だった。

「7号か……。覚えておこっと」

早速スマホにメッセージを打ち込んだ。

『こんばんは。本日は色々とお世話になりました。引っ越し業者の件、どうもありがとうございました。明日、ここのアパートの解約をしてきます。指輪のサイズですが、今計測したところ7号でした。どうぞよろしくお願いいたします』

(明日は会社に結婚した事と、仕事をやめる事を伝えなくちゃ……)

朱莉は貰ったマンションのパンフレットを見た。港区六本木にある高級住宅マンション……いや、恐らく億ション。現在朱莉が住んでいるのは葛飾区の地区30年の古い賃貸アパート。そして職場はここから徒歩20分の缶詰工場。とても通勤出来る距離では無い。それに、これからは毎月150万ずつ振り込まれるのだ。日々の買い物はセレブだけが持つ事の許される「ブラックカード」

もう一月16万円のパートをする必要は何処にもない。だけど……。

「私が辞めると……困るかなあ……?」

朱莉は溜息をついた――

 翌朝――

「おはようございます。昨日は突然仕事をお休みしてしまい、申し訳ご
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     土曜日――今日は朱莉の母が入院してからの初めての外泊日であり、更に翔が朱莉の自宅へやって来る最初の日でもった。朱莉は興奮のあまり、今朝は5時に目が覚めてしまったくらいである。そこで朱莉は部屋中を綺麗にするために掃除を始め……気付けば朝の8時になっていた。「あ、もうこんな時間だったんだ!」朱莉はお湯を沸かし、トーストとサラダ、コーヒーで朝食を手早くとると出掛ける準備を始めた。「それじゃ、出掛けて来るね。フフ……次に帰って来る時はお客さんが2人いるからね? 驚かないでね?」サークルの中に入っているウサギのネイビーの背中を撫でて声をかけた。コートを羽織り、ショルダーバックを肩から下げるとはやる気持ちを押さえながら母の入院している病院へと向かおう億とションを出て……朱莉は足を止めた。「え……?」億ションの前には車が止められており、そこには見知った人物が立っていたからである。(まさか………?)「く、九条さん? 一体何故ここに……?」すると、琢磨は笑顔で答えた。「おはよう、朱莉さん。今日はお母さんの外泊日だろう? だから迎えに来たよ。って言うか……翔から頼まれてね。朱莉さんを病院まで送って、お母さんを連れ帰ってきてくれないかって」「え……? 翔さんが?」朱莉が頬を染めて嬉しそうに微笑む姿を琢磨は複雑な表情で眺めた。しかし、事実は違った——**** それは昨日の昼休みの出来事――「明日は朱莉さんのお母さんが外泊をする日だろう? どうするんだ?」琢磨がキッチンカーで購入して来たタコライスを口にしながら尋ねた。「うん? 明日は朱莉さんがお母さんを病院から自宅へ連れて帰る事になっているぞ? 多分タクシーで帰って来るんじゃないかな?」翔はロコモコ丼を美味しそうに口に運んだ。「何? 翔……お前、もしかして一緒に病院へ迎えに行かないつもりなのか?」琢磨は鋭い目つきで翔を見た。「ああ。そうだが?」「おい! 何故一緒に朱莉さんと病院へ向かわないんだ? 書面上とはいえお前と朱莉さんは夫婦なんだから、普通は一緒に迎えに行くだろう? しかも朱莉さんのお母さんは病人なんだから、車で迎えに行くべきだと思わないのか?」怒気を含んだ琢磨の物言いに戸惑う翔。「どうしたんだ? 何もそれ程怒ることか? それに無理を言わないでくれよ……。朱莉さんの部屋へ泊る事を

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     しかし、翔は琢磨の怒りに気付かずに続ける。「だから反省してるんだ。それに今の明日香ならきっと分かってくれるさ。週末は俺が朱莉さんの家へ行く。それで問題は解決だ」「……」しかし、琢磨は返事をしない。「どうしたんだ? 琢磨?」「お前……ふざけるなよ……」怒りを抑えた声色で琢磨は賞を睨みつけた。「どうした? 何かお前、怒っていないか?」「別に……ならお前から朱莉さんにメッセージを送ってやれ」ぶっきらぼうに言うと翔は頷いた。「そうだな。なら今ここで朱莉さんに電話をかけよう」(で……電話だって!? 俺だって、そうそう簡単に朱莉さんに電話を掛けられないのに!?)その瞬間琢磨は自分自身に驚いた。(え……? 一体俺は今何を思ったんだ……?)琢磨の様子がおかしいことに気付いた翔が尋ねてきた。「琢磨、どうしたんだ? 何だか顔色が悪いぞ? 戸締りはしていくからお前、先に帰れよ」翔は朱莉との連絡専用のスマホを手にしている。琢磨は一瞬そのスマホを恨めしい目で見つめ、首を振った。「ああ。分かった。先に帰らせてもらう。悪いな……」正直な話、今夜はこれ以上ここにいたくないと思った。今から翔は朱莉に電話を掛けるのだ。その会話を傍で聞くのは正直な話、辛いと琢磨は感じていたからだ。「悪い、それじゃ先に帰るな」上着を羽織り、カバンを持つと翔に背を向けた。「ああ。気を付けて帰れよ」ドアを閉めると、翔が電話で話す声が聞こえてきた。その声をむなしい気持ちで聞き……琢磨はオフィスを後にした。 外に出ると、いつの間にか小雪がちらついていた。「3月なのに……雪が……」琢磨は白い息を吐きながら高層ビルが立ち並ぶ空を見上げる。「朱莉さん……」(結局、俺が朱莉さんにしてあげられることって……殆ど無いのか……)小さくため息をつくと、足早に街頭が光り輝く町の雑踏を歩き始めた――**** 同時刻——朱莉は翔からの電話を受けていた。「え……ええっ!? ほ、本当によろしいのですか? 翔さん」まさか翔の方から朱莉の部屋へ来てくれるとは思ってもいなかったので朱莉は信じられない気持ちで一杯だった。『ああ、勿論だよ。今まで一度も朱莉さんのお母さんとは会ったことは無かったからね。本当にすまなかった。やっとご挨拶することが出来るよ』受話器越しから聞こえてくる翔の声は優しか

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-21 小雪の舞う夜の出来事 1

     その頃――まだ翔と琢磨はオフィスに残って残務処理をしていた。「参ったな……役員会議で新たな問題が出てくるとは…‥」翔は頭を抱えながら資料を見直している。「仕方がないさ。常に社会は動いているんだ。こういう時もあるだろう? それより翔。お前、そろそろ帰らなくてもいいのか? 明日香ちゃんを1人にしておいて大丈夫なのか?」琢磨は目を通していた資料から視線を翔に移した。「ああ、今夜は大丈夫なんだ。家政婦さんが朝まで泊まり込んでくれるからな」明日香が流産をしてから翔は家政婦協会に依頼し、翔の帰りが遅くなりそうなときは泊まり込みで家政婦を派遣してもらえるように頼んでおいたのだ。「ふ~ん……なら安心だな」その時、突然琢磨のスマホが着信を知らせた。琢磨はスマホを手に取るとドキリとした。「朱莉さん……」今までは普通に朱莉からのメッセージを受け取っていたのに、今夜に限って何故心臓が一瞬跳ね上がるかのように感じる。琢磨は自分の気持ちが良く分からなくなっていた。「朱莉さんからなのか? 何て言ってきてるんだ? と言うか……そうだ、琢磨。最近明日香も以前に比べると大分朱莉さんに対して気持ちが軟化してきてるんだ。今ならひょっとすると朱莉さんから俺に直接メッセージが届いても、もう何も言わないかもしれない。だから朱莉さんに伝えてくれないか? これからは俺に直接メッセージを送ってもらって構わないって」しかし、琢磨は翔の言葉に何故か苛立ちを覚えた。(何を言ってるんだ? 今まで散々明日香ちゃんに気を使って朱莉さんとの直接のやり取りを拒否してきたくせにここにきて突然そんなことを言い出すなんて……)「いや、いい。もしかするとこのメッセージは俺自身に用があってよこしているかもしれないだろう?」「ふ~ん……? 分かったよ。お前に任せる」そして翔がPC画面を見つめている時、琢磨が髪をかき上げながら苛立ちの声を上げた。「くそっ!」「どうしたんだ? 琢磨。朱莉さんのメッセージでそんな風に苛立つなんて一体何があったんだ?」翔が声をかけると、琢磨がため息をついた。「朱莉さんのお母さんが今週病院から外泊許可を貰って朱莉さん宅へ来たいと言ってるらしいんだ。だけど……。お前、普段からあの自宅には住んでいないだろう? 朱莉さん曰く、お前の生活感が全く無い部屋だと言っている。それにお前だ

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-20 相談出来るたった1人の相手 2

    ――17時「それじゃ、お母さん。また来るね」面会時間が終わり、朱莉は母に声をかけて席を立つと呼び止められた。「あ、あのね……朱莉。実は今度の週末、1日だけ外泊許可が取れたのよ」「え? 本当なの!? お母さん!」朱莉は顔をほころばせて母の顔を見た。「え、ええ……。それで朱莉、貴女の住むお部屋に泊らせて貰っても大丈夫かしら?」「!」母の言葉に朱莉は一瞬息が止まりそうになったが、何とか平常心を保ちながら返事をした。「うん、勿論大丈夫に決まってるでしょう?」朱莉はニコリと笑顔を見せると母に手を振って病室を後にした——****(どうしよう……)朱莉は暗い気持ちで町を歩いていた。母が外泊することが出来るまでに体調が回復したと言うことは朱莉にとって、とても喜ばことことであった。だが、それが朱莉の住む部屋を母が訪れるなると話は全くの別物になってくる。母があの自宅を見たら、朱莉が1人であの部屋に住んでいると言うことがすぐにばれてしまう。かと言って翔にその日だけでも朱莉の自宅に来てもらえないかと頼めるはずも無い。……どうしよう? いっそのこと母に事実を話してしまおうか?実は翔との結婚は書類上だけで、実際はただの契約婚だと言うことを。だけど……。(駄目……本当のことなんかお母さんに話せるはずが無い。きっと心配するに決まっているし、そのせいでまた具合が悪くなってしまうかもしれない。折角体調が良くなってきたっていうのに……。そうだ、いっそのこと翔先輩は突然海外出張で不在だって嘘をついてみる……?)だが、あの部屋はどう見ても翔の存在感がまるで無い。一応食器類は翔の分として用意はしてあるし、クローゼットにも服は入っている。だけど……やはりどんなに取り繕ってみても所詮女の1人暮らしのイメージが拭い去れないのは事実であった。「どうしよう……」気付けばいつの間にか朱莉は自分が住む億ションへと辿り着いていた。そして改めてタワー億ションを見上げる。「馬鹿だな……私……。結局私自身もここに仮住まいさせて貰っている身分だって言うのに……」暗い気持ちでエレベーターに乗り込むと、今後の事を考えた。どうしよう。やはり母には何か言い訳を考えて、ここには連れて来ない方がいいかもしれない。それならどうする? いっそ……何処か都心の高級ホテルを借りて、そこに母と二人で泊ま

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-19 相談出来るたった1人の相手 1

     翌日――琢磨と翔は都内にある取引先を訪れており、昼休憩の為にイタリアンレストランへ来ていた。「うん。ここのイタリアンは中々旨いな。今度明日香を連れて来てみよう」翔はボロネーゼのパスタを口に入れると満足そうに頷く。「ああ…」返事をする琢磨は何故か上の空だ。「昨日は明日香の体調が良かったから久しぶりに二人で水族館へ行って来たんだ。やっぱり水族館は良いな。……何と言うか癒される気がする」「そうだな……」琢磨は溜息をつきながら、ポルチーニパスタを口に運んで無言で食べている。「……どうにも調子が狂うな……。仕事上でミスは無かったが一体どうしたんだ? 琢磨、何だか元気が無いように見えるぞ?」翔は琢磨の顔をじっと見つめた。「いや……別に俺は至って普通だ」「嘘つけ。今だって上の空で食事をしているのは分かってるんだぞ? 一体何があったんだ? いつものお前らしくも無い。何か悩みでもあるなら俺に相談してみろよ? 考えてみれば最近はずっとお前が俺の相談に乗っていてくれたからな」食事を終えた翔はフォークを置いた。「……別に何も悩みなんかないさ」器用にパスタをフォークに巻き付ける琢磨。「そうか……? それで、さっきの水族館の話なんだが、明日香もすっかり熱帯魚が気に入ったらしく、帰宅してからネットで熱帯魚の事を色々調べていたんだ。朱莉さんに触発されたのかな? あの明日香がペットを考えているなんて信じられないよ」翔の口から朱莉の名前が出てくくると、そこで琢磨は初めてピクリと反応した。「朱莉さん……? 朱莉さんがどうしたって言うんだ……?」「お前……やっぱり俺の話、上の空で聞いていたな? だから明日香がペットに熱帯魚を探し始めているんだ。それで朱莉さんの影響を受けたんじゃないか? って話を……。ん? そう言えば朱莉さんは何か次のペットを考えいているのかな?」「……珍しいよな。お前が自分から朱莉さんの話をするなんて。ひょっとして……お前も……」そこで琢磨は口を閉ざした。(え……? 今、俺は何を言おうとしていたんだ……?)「ん? 何だよ、お前もって?」一方の翔は琢磨が突然口を閉ざしてしまったので不思議そうに琢磨を見る。「いや、何でも無い」琢磨は最後の食事を終えると、コーヒーをグイッと飲み込んだ。「今日は15時から役員会議があるだろう? 早めに社に

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   5-18 それぞれの気持ち 2

    「お荷物は全てお部屋に運んで置きました。こちらがお預かりしていた部屋のキーでございます。お受け取り下さい」琢磨は朱莉に部屋の鍵を渡してきた。「は、はい……。どうもありがとうございます……」(一体九条さんは急にどうしたんだろう? さっきまではあんなに親し気な態度を取っていたのに……)「それでは私はこれで失礼いたします。副社長によろしくお伝え下さい。それでは私はこれで失礼させていただきます」「分かりました……」戸惑いながら朱莉は返事をした。(副社長によろしく等、今迄一度も言った事が無かったのに……)琢磨はペコリと頭を下げると足早に去って行った。その後ろ姿は……何故か声をかけにくい雰囲気があった。(後で九条さんにお礼のメッセージをいれておかなくちゃ……)京極は少しの間無言で琢磨の後ろ姿を見ていたが、やがて口を開いた。「彼は朱莉さんの夫の秘書だと言っていましたよね?」「はい、そうです。とてもよくしてくれるんです。親切な方ですよ」「だからですか?」「え? 何のことですか?」「いえ。今日の朱莉さんは今迄に無いくらい明るく見えたので」京極はじっと朱莉を見つめる。「あ、えっと……それは……」(どうしよう……。京極さんにマロンを託したのに、今度は新しく別のペットを飼うことになったからですなんて、とても伝えられない……)その時京極のスマホが鳴り、画面を見た京極の表情が変わった。「……社の者から……。何かあったのか?」京極の呟きを朱莉は聞き逃さなかった。「京極さん。お休みの日に電話がかかってくるなんて、何かあったのかもしれません。すぐに電話に出た方がよろしいですよ、私もこれで失礼しますね」実は朱莉は新しくペットとして連れてきたネイビーの事が気がかりだったのだこの電話は正に京極と話を終わらせる良い口実であった。「え? 朱莉さん?」戸惑う京極に頭を下げると、足早に朱莉は億ションの中へと入って行った。(すみません……京極さん。後でメッセージを入れますから……)エレベーターに乗り込むと、朱莉は琢磨のことを考えていた。(九条さんはどうしてあんな態度を京極さんの前で取かな? もしかして変な誤解を与えないに……?だけど私と九条さんとの間で何がある訳でもないのに。でも、それだけ世間の目を気にしろってことなのかも。それなら私も今後はもっと注意しな

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